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廃藩置県 下大曲村は西大平県 大岡越前守忠相

現在の「神奈川県高座郡寒川町大曲2丁目辺り(小出川と県道45号の間)」を昔は「下大曲村」と言いました。
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江戸時代初期から代々大岡氏が知行地としており、寛延2年(1749)に大岡忠相(ただすけ)が1万石に加増され、三河国西大平(愛知県岡崎市)藩主となった時も、徳川家康より得た譜代の領地として下大曲の領主権を手放さなかったといいます(*1)。
そのため、明治4年(1871)7月の廃藩置県の際、下大曲村は西大平県の飛び地になりました。
上大曲村始め周りの多くの村は幕府の直轄領だったため、神奈川県になりました。
明治4年(1871)11月の統廃合で下大曲村も神奈川県に編入されました。

堤村(茅ヶ崎市)も廃藩置県で西大平県に属しましたが、堤村が西大平藩に属したのは明治元年で、期間は約3年でした。
明治元年10月15日、沼津藩が上総国菊間に転封させられたため、西大平藩の上総国市原郡の3ケ村(*2)が上知となり、相模国2ケ村(堤村、香川村)に付替えされ西大平藩になりました。(*3)



[出典]
*1:下大曲(しもおおまがり)
寒川町の大字。大曲村(上大曲)とともに「大曲」と称されることが多い。現在の大曲2丁目にあたり、小出川が村の東境を流れる。村高は『元禄郷帳』『天保郷帳』を通して220石。江戸時代初期から代々大岡氏が知行地としており、寛延2年(1749)年に大岡忠相(ただすけ)が1万石に加増され、三河国西大平(愛知県岡崎市)藩主となった時も、徳川家康より得た譜代の領地として下大曲の領主権を手放さなかったという。『新編相模国風土記稿』には本間氏知行とあるが、これは誤りである。明治4年(1871)7月の廃藩置県で西大平県、同年11月には神奈川県第25区に編成されるが、同6年の改正法で大曲村とともに第18大区8小区に区分され、明治22年に寒川村の大字となった。(『さむかわ大事典(『寒川町史』13 別編 事典・年表CD-ROM版)』より引用)

*2:宮原村(現市原市高滝)、不入斗村、島野村か?
[出典]ウィキペディア 市原郡
https://ja.wikipedia.org/wiki/市原郡

*3:「岡崎市史 近世 3」H4.7.1 p1484

[参考]
寒川文書館 第16回企画展示 近世寒川の領主群像―うちの殿様はどんな人?―
https://www.lib-arc.samukawa.kanagawa.jp/opac/bunsyo/contents/gallery/tenji16/index.html

広報ふじさわ2013年7月10日号 大岡忠相と下大曲村
http://www.city.fujisawa.kanagawa.jp/kouhou/sumafo/khf-s130710/sisei23_s.html

愛知県岡崎市と茅ヶ崎市の提携経緯
http://www.city.chigasaki.kanagawa.jp/profile/yukarinomachi/1007357.html


神奈川県旧高座郡7市1町の変遷
http://www.tt.rim.or.jp/~ishato/tiri/huken/koza.htm



# by jyohokiti | 2018-07-01 16:29 | 寒川町の歴史

寒川町のあれこれをご紹介しています。


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