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相模国準四国八十八ケ所-寒川

「相模国準四国八十八ケ所」とは、鵠沼村の浅場太郎右衛門親子が発起して、文政3年(1820)~4年、四国八十八ケ所を倣い、鎌倉・藤沢・茅ヶ崎・寒川・横浜へ弘法大師石像を設置し、巡礼地としたものです。
(本四国八十八ケ所の寺院名、土地名、その他なんらかの似ている所を選び、本四国の写しの番号としました。したがって、この巡礼は、ご本尊より、弘法大師にお参りする傾向の方が強かったらしい。)

[巡礼の時期]
春(または秋)のお彼岸前後を選んで、3日ないし4日間。
{関東大震災(大正12年(1923))まで盛んであったらしい。}

[持ち物]
鈴(れい)、おべんとう(、造花)

[工程]
1日目:普門寺~鎌倉、片瀬方面
2日目:茅ケ崎、柳島方面
3日目:寒川宮山辺り
4日目:藤沢俣野

寒川町には「相模国準四国八十八ケ所」の内、6番、14番をはじめ、計10箇所の札所がありました。
しかし、慶応4年(1868)の神仏混淆廃止、明治2年(1869)の神仏分離、廃仏毀釈、等によって、廃寺になった寺院や堂があり、現在は9箇所残っています。
廃寺に伴い、弘法大師石像は別の場所へ移されたものがあります。

寒川町の「相模国準四国八十八ケ所」

[札所番号] 6
[霊場名] 安楽寺
[ご詠歌] 後の世と おぼつかなくも このみしか この世からこそ 安くたのしき
[写] 阿波安楽寺
[所在地] 寒川町岡田2387
[現在] 本寺の山門を入り左側にある大師堂に6番、71番、75番の弘法大師石像三体が安置されています。
相模国準四国八十八ケ所-寒川_d0240916_1635352.jpg左75番、中央6番、右71番


[札所番号] 14
[霊場名] 地蔵堂(廃堂){東福寺持。宝永4年(1707)円心が建立}
[ご詠歌] 大まがり まがる心の人とても すぐにみちびけ 六のちまたに
[写] 阿波常楽寺
[所在地] 寒川町大曲1-18
[現在] 今は地蔵堂はなく、共同墓地になっています。
相模国準四国八十八ケ所-寒川_d0240916_2271645.jpg大師石像は共同墓地の一角の小堂に六地蔵と共に一番右端に納められています。


[札所番号] 15
[霊場名] 等覚寺(東覚寺とも)(廃寺)
[ご詠歌]海ならぬ 岡田のあきの うちなびき みちもなぎさの 波とこそみえ
[写] 阿波國分寺
[所在地] 寒川町岡田4-3
[現在] 明治37年(1904)観護寺と共に安楽寺に併合されました。
大師石像は茅ヶ崎円蔵寺(茅ヶ崎市十間坂1-3-39)にあります。
相模国準四国八十八ケ所-寒川_d0240916_14553613.jpg茅ヶ崎円蔵寺
相模国準四国八十八ケ所-寒川_d0240916_14562238.jpg15番弘法大師像。山門を入り、左手に六地蔵があり、その奥、塀沿いの樹木に囲まれた中にあります。(右隣は円蔵寺の76番。)

[札所番号] 54
[霊場名] 南泉寺
[ご詠歌] つくりなす つみのおも荷も みほとけの 誓にかるの いちのみやかな
[写] 伊予延命寺
[所在地] 寒川町一ノ宮1-23-1
[現在] 文政4年(1821)南泉寺に置かれた54番は、文政5年、景観寺(一之宮1-18-5)へ移されました。
相模国準四国八十八ケ所-寒川_d0240916_16393067.jpg
相模国準四国八十八ケ所-寒川_d0240916_21552836.jpg大師石像は景観寺山門を入り本堂手前右手にあります。

[札所番号] 62
[霊場名] 薬王寺(廃寺){和銅3年(710)行基開山、承和年間(834~848)快便が再興}
[ご詠歌] 千はやふる 神の宮山 さむ川の ふかき恵みは 身にぞしみける
[写] 伊予宝寿寺
[所在地] 寒川町宮山3913辺り
[現在] 現在の寒川神社境内(東部分)にありました。慶応4年(1868)神仏混淆廃止により、薬王寺の住職は還俗。この時点で薬王寺は廃寺となりました。
大師石像は西善院(寒川町宮山3925)に移されました。
相模国準四国八十八ケ所-寒川_d0240916_1503722.jpg大師小堂は西善院山門左手にあり、62番と73番、二体の大師石像が安置されています。62番は左側(文政3年11月吉日)という説があります(*4)。

[札所番号]64
[霊場名] 弥陀堂(廃堂)
[ご詠歌] としとしに あきのみのりの 大蔵と かねてつけたる さとの名にもや
[写] 伊予前神(まえがみ)
[所在地] 寒川町大蔵854
[現在] 今は 弥陀堂はなく、共同墓地になっています。
相模国準四国八十八ケ所-寒川_d0240916_11243180.jpg大師石像は入口の小さな堂に納められています。

[札所番号] 71
[霊場名] 観護寺(廃寺)
[ご詠歌] この寺の みのりをあふぐ 民草を ゆたかにまつれ 山もおか田も
[写] 讃岐弥谷(いやだに)
[所在地] 寒川町岡田3-24
[現在] 明治37年(1904)廃寺となりました。墓地は残っています。
大師石像は安楽寺(寒川町岡田2387)へ移され6番とともにあります。

[札所番号] 73
[霊場名] 神照寺(廃寺)
[ご詠歌] 宮山に にほふ朝日は たまちはふ 神のてらせる かがみなるらん
[写] 讃岐出釈迦(しゅっしゃか)
[所在地] 寒川町宮山3885辺り
[現在] 神照寺は明治2年(1869)、神仏分離令、廃仏毀釈によって廃寺となりました。墓地は残っています。
大師石像は西善院(寒川町宮山3925)に移され62番とともにあります。右側が73番、という説があります。(*4)

[札所番号] 75
[霊場名] 宝塔院(廃寺)
[ご詠歌] 民草に 露を岡田の うるおひも さながら法の めぐみなりけり
[写] 讃岐善通寺
[所在地] 寒川町岡田3-6
[現在] 明治40年(1907)廃寺となりました。墓地は残っています。
大師石像は安楽寺(寒川町岡田2387)へ移され6番とともにあります。

[札所番号] 83
[霊場名]城山(じょうやま)地蔵堂(廃堂)
[ご詠歌] 法の露 むすべばすぐに ゆうたすき かけしちかいは 一之宮かな
[写] 讃岐一宮寺
[所在地] 寒川町一之宮8-6
[現在] 城山とは梶原景時の館があった所といわれ、その館址は天満宮の小公園となっています。
大師石像は明治の神仏分離令により、南泉寺(寒川町一ノ宮1-23-1)に移されました。
相模国準四国八十八ケ所-寒川_d0240916_15542130.jpg大師堂は南泉寺本堂の左側にあります。

寒川町内の「相模国準四国八十八ケ所 弘法大師像を巡る 小旅」↓
http://samkajyoho.exblog.jp/15941545/

[参考資料]
1.「寒川町史 10 別冊 寺院」寒川町編集、平成9年発行
2.「相模国準四国八十八ケ所-弘法大師石像をめぐりて-」三木洋、昭和58年10月15日発行
3.「相模国準四国八十八ケ所」鵠沼を語る会作、2010年(?)発行
http://kugenuma.sakura.ne.jp/sagami88.pdf
4.「郷土の石碑 梶原景時管見」広田富治著、平成6年5月3日発行

札所の地図→[地図]


その他の地域の準四国八十八ケ所

日本三大新四国霊場
知多四国八十八箇所、小豆島八十八箇所、篠栗四国八十八箇所

福岡県篠栗(ささぐり)町の八十八ケ所
起源は安政2年(1855)。(資料-1)
地元の人たちによって守り継がれています。

[第87番札所「龍泉堂」のお接待]
木山マキ子さんが紙や木の板に描いた「ほほ笑む仏様」と「達筆柔和な文字で書かれた暖かい言葉」。インターネットで垣間見ることができます。(資料-2)
資料-1:篠栗霊場の歴史
http://www.sasagurikanko.com/history/
資料-2:NHK 小さな旅 「ひと筆 よりそって」
http://www.nhk.or.jp/kotabi/konkai_111106.html

新四国八十八ケ所相馬霊場
この霊場は観覚光音(かんがくこうおん)禅師(注1)が四国八十八ヶ所を訪れ 札所の砂を持ち帰り、利根川の流れに沿った寺院・堂塔にうめて開基したといわれています。

(注1)観覚光音禅師(伊勢屋源六)
信濃の国の出身で13歳で江戸の呉服商の伊勢屋に奉公後、後に独立して取手宿で商売を始める。
その後、長禅師の幻堂禅師の弟子となり、出家し、四国八十八箇所を巡り、取手に各札所の砂を持ち帰った人物である。

新四国八十八ケ所相馬霊場
http://www.toride-kankou.net/henro

[前回改訂:2015.2.3]



by jyohokiti | 2019-11-24 15:15 | 観光案内

寒川ウォーク 相模国準四国八十八ケ所 弘法大師像を巡る 小旅

発行 2016.1.9
寒川町には相模国準四国八十八ケ所巡りの弘法大師像が九体残っています
設置されてから180年以上の時を経て、安置された場所から移されたものもありますが、相模国一之宮(現在の寒川町)のほぼ中央に分布するこれらの弘法大師像を辿ってみませんか。
総距離 約6.6km

[巡礼路]
1.JR相模線 香川駅→第14番札所 大曲共同墓地内(約1km)
香川駅を出たらスーパーマーケット「クラウン」を右手に見て真直ぐ進みます。小出川を渡ったら大曲神社(旧十二天神社)またはバーミアン寒川大曲店方向を目指してください。大曲神社手前の道を左折、または、バーミアン前の道を右折すると入口が見えます。
↓左:共同墓地入口、右:右端が第14番弘法大師坐像
寒川ウォーク 相模国準四国八十八ケ所 弘法大師像を巡る 小旅_d0240916_15312120.jpg寒川ウォーク 相模国準四国八十八ケ所 弘法大師像を巡る 小旅_d0240916_15313734.jpg

2.大曲共同墓地内→第54番札所 景観寺(約0.9km)
大曲共同墓地から大曲神社の裏の道を県道45号線と平行に西(相模川方向)へ進みます。信号がある四辻の角が景観寺です。
↓左:景観寺全景、右:第54番弘法大師坐像。門を入ってすぐ右手に祠があります。
寒川ウォーク 相模国準四国八十八ケ所 弘法大師像を巡る 小旅_d0240916_155497.jpg寒川ウォーク 相模国準四国八十八ケ所 弘法大師像を巡る 小旅_d0240916_15542477.jpg

3.景観寺→第83番札所 南泉寺(約0.4km)
景観寺の隣に神明社(しんめいしゃ)があり、その脇の道を進み一之宮八幡大神神社の裏を進むと南泉寺です。
↓左:南泉寺山門、右:第83番弘法大師坐像。本堂左手にあります。
寒川ウォーク 相模国準四国八十八ケ所 弘法大師像を巡る 小旅_d0240916_16442286.jpg寒川ウォーク 相模国準四国八十八ケ所 弘法大師像を巡る 小旅_d0240916_16444426.jpg

4.南泉寺→第6番・71番・75番札所 安楽寺(約1km)
南泉寺前の道を北へ進み、JR相模線の踏み切りを渡り、岡田西信号を直進、ベルテ寒川の角を曲がり、ファッションストアー「アグ」の裏の道を直進すると安楽寺です。
↓左:安楽寺、右:弘法大師坐像。左から75番・6番・71番。本堂手前左手にあります。
寒川ウォーク 相模国準四国八十八ケ所 弘法大師像を巡る 小旅_d0240916_14165758.jpg寒川ウォーク 相模国準四国八十八ケ所 弘法大師像を巡る 小旅_d0240916_189593.jpg

5.安楽寺→第62番・73番札所 西善院(さいぜんいん)(約1.3km)
南泉寺からきた道を少しもどり、右手の坂を上り、寒川小学校となりのさむかわ保育園の脇を通って寒川総合体育館へ出ます。寒川町消防署前の道を寒川神社方向へ向かい、寒川神社三の鳥居前が西善院です。
↓左:西善院、右:弘法大師坐像。二体の内、左側が第62番(薬王寺)、右側が73番(神照寺)という説があります。
寒川ウォーク 相模国準四国八十八ケ所 弘法大師像を巡る 小旅_d0240916_1828742.jpg寒川ウォーク 相模国準四国八十八ケ所 弘法大師像を巡る 小旅_d0240916_18282037.jpg

6.西善院→第64番札所 大蔵(おおぞう)共同墓地(約1.8km)
安楽寺からきた道を寒川町消防署前までもどり、更に宮山緑地を通り過ぎ日産工機の裏を通ってオートバックス裏の道を進みます。県道45号線を渡ります。ただし、近くに横断歩道がありません。陸橋を渡りましょう。陸橋を渡ったら、昭和シェル石油の脇の道を進み、大和鋼帯寒川社宅の前を通りすぎるとすぐ大蔵共同墓地です。
↓左:昭和シェル石油の脇の道、右:大蔵共同墓地にある弘法大師坐像。
寒川ウォーク 相模国準四国八十八ケ所 弘法大師像を巡る 小旅_d0240916_1845276.jpg寒川ウォーク 相模国準四国八十八ケ所 弘法大師像を巡る 小旅_d0240916_15544021.jpg

7.大蔵共同墓地→大蔵バス亭(約0.2km)
寒川ウォーク 相模国準四国八十八ケ所 弘法大師像を巡る 小旅_d0240916_18525590.jpg寒川駅まで歩くこともできますが、バスもあります。
バス停は大和鋼帯寒川社宅とは反対方向へ進み、すぐ左へ曲がり県道45号線へ出ると右手に「大蔵」バス停があります。バスは次の2種類あります。
(1)神奈中バス
時刻表(バス停の名称=大蔵)
http://dia.kanachu.jp/bus/viewtop
(2)コミュニティバス「もくせい号」の運行内容(平成27年10月から)
http://www.town.samukawa.kanagawa.jp/soshiki/toshikensetsu/toshikeikaku/tokei_kaihatsu/info/koukyoukoutsu/bus_mokusei/1443140073151.html

巡礼路は鵠沼を語る会発行の「相模国準四国八十八ケ所」(資料-1)に準じています。

[巡礼路マップ]
巡礼路マップは→[地図]をご覧ください。

[参考サイト]
秋雨の相模国準四国八十八ケ所巡り(2013)

資料-1:鵠沼を語る会発行「相模国準四国八十八ケ所」
http://kugenuma.sakura.ne.jp/sagami88.pdf


by jyohokiti | 2019-11-24 15:04 | 観光案内

相模国分寺が寒川にあったかも

■「相模国分寺が寒川にあったかもしれない」と考えるきっかけ

東鑑 第十二 建久三年(1192)八月九日の条(図1)にある「国分寺 一宮下」の解釈の一つに「相模国分寺が一宮寒川神社の近くにあったのではないか」という説があります。
「国分寺 一宮下」に対する見解は様々あります(下表)。
発行年月日資料名内容
1841新編相模国風土記稿 第3輯 高座郡国分寺此地一宮寒川神社ヲ距ル(ヘダテル)事一里餘。然ルヲ在所ヲ一宮下ト記スルモノ解スベカラス(図2)。(寒川神社から一里以上離れている海老名市国分を一宮下と言うのは理解できない。)
1981.
3.25
神奈川県史通史編1原始・古代・中世p292.国分寺の下に一宮下と注しているのが注目される。他寺の例によれば、これはこの寺の所在地を示している。相模国一の宮寒川神社は寒川町にあり、寒川町に一宮の地名もある。もし、この「吾妻鏡」の注を信ずるとすれば、国府が大住郡に第二遷したとき、国分寺も海老名市から移った、ということになろう。将来の検討を要するところである。
1990.
11.1
寒川町史1資料編 古代・中世・近世p223.「国分寺 一宮下」は、論争になっている。国分寺も寒川へ移ったのではないか、というのが「神奈川県史」の説であるが、いかがであろうか
1997.
11.12
えびなの歴史―海老名市研究―第9号 海老名市史編集委員会 鎌倉期における相模国分寺 池田正一郎p32.一ノ宮が寒川にあることが明白であることから考えると国分寺はこの(寒川)付近にあったということがいえると思われる。(*1)
1998.
3.27
海老名市史2資料編中世p78.一宮下とあるのは、他社寺の注から推して所在地を示すと思われるが意味不明である。(略)寒川町の一宮と当市の国分寺が近接しているので、このように表現されたのかもしれない。
2009.
3.10
現代語訳吾妻鏡5征夷大将軍 編者 五味文彦・本郷和人 吉川弘文館p258.相模国一宮と称された寒川神社の社領のあった一宮庄か
2011.
11.26
寒川文書館中世史講座テキスト2010年度 郷土の史跡と『吾妻鏡』の世界 寒川文書館 編集・発行p9.海老名市国分の国分寺カ
*1:ここでは「一宮=寒川」という意見であったが、海老名市史として出来上がった時には「一宮=意味不明」に変わっている。

1985.7 「国分寺志」中山毎吉・矢後駒吉 p154に「東鑑 第十二 建久三年(1192)八月九日の条」の記述はありますが、「国分寺 一宮下」には触れていません。
相模国分寺が寒川にあったかも_d0240916_15030265.png
図1 東鑑
相模国分寺が寒川にあったかも_d0240916_15034094.png
図2 新編相模国風土記稿

■「一宮下」は何を意味しているか

「一宮下」が国分寺の所在地を現しているとしたら、海老名市国分ではなく寒川町が妥当と思われます。海老名市国分を現すのであれば「国分寺 国分」と書けば良く、紛らわしい「一宮下」と書く必要はありません。あえて「一宮下」と書いたのは、この時{建久3年(1192)}、本来あるべき「国分」に国分寺がなかったから、とは考えられないでしょうか。

■寒川に国分寺があった、としたら

何らかの理由で、一時的に一宮(寒川)に国分寺があり、それを現すために「一宮下」と書いたとしたら、その寺は一宮のどこにあったのでしょうか。
相模国分寺が寒川にあったかも_d0240916_15010606.jpg
寒川神社の近くで、国分寺に関わりがあった所と言えば、大観音寺があります。「天平宝字(757~764)年頃、この地に『大観音寺』というお寺があり、国分寺の『読師』が住んでいた」という伝説が残っています(*2)。このような伝説が残っているのは何かそれらしきことがあった可能性があります。この「大観音寺」、または「その後の寺」が国分寺だった、とは考えられないでしょうか?

*2:「鷹倉社寺考」海老名古文書研究会 H15(2003).4.20・・・「鷹倉社寺考」は万治2年(1659)寒川神社の神官従6位下金子伊予守の編著書

[歴史年表]

1181.1 梶原景時一ノ宮を領す
1192.8.9 政子の安産祈願のため相模国内の寺社へ神馬奉納{鶴岡、国分寺(一宮下)、一宮(佐河大明神)始め28社寺}
1194.11.27 頼朝が国分寺の修復を命じた この当時の国分寺は寒川神社の近くにあった?
1199.1 頼朝死去
1200.1.20 梶原景時死去

[出典]

東鑑 国立国会図書館デジタルコレクション

新編相模国風土記稿 第3輯 大住・愛甲・高座郡 国立国会図書館デジタルコレクション

発行日 2018.2.5


by jyohokiti | 2019-11-23 18:14 | 観光案内

寒川町のあれこれをご紹介しています。


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