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御朱印帳 相模国六社御朱印めぐり

最初の神社で御朱印帳(図1)を入手しましょう。
寒川町観光協会(地図)にも置いてあります。
手水の作法(図2)、神社参拝の作法(図3)も書いてあります。
相模国六社とは、下記の六社です。
一之宮 寒川神社(寒川町)
二之宮 川勾神社(二宮町)
三之宮 比々多神社(伊勢原市)
四之宮 前鳥神社(平塚市四之宮)
八幡宮 平塚八幡宮(浅間町)
総社  六所神社(大磯町)
六社の地図は六所神社HP
http://www.rokusho.jp/rokushameguri/rokushameguri.html
でダウンロードできます。
d0240916_1750418.jpg図1
d0240916_1751537.jpg御朱印めぐりの心得、御朱印めぐりの仕方
d0240916_17515721.jpg図2
d0240916_17521637.jpg図3

[地図 寒川町観光協会]
寒川町観光協会HP→http://www.samukawa-kankou.jp/


by jyohokiti | 2016-12-27 17:56 | 観光案内

寒川町 庚申塔 ショケラ

寒川町には庚申塔が38基あります。
その内、青面金剛は14基(37%)です。
その内、ショケラ持ちは3基(21%)です。
ショケラ持ちの庚申塔は1816年~1857年と、比較的後世に作られたものです。
他にもショケラ持ちらしい庚申塔があります。
例えば、倉見地蔵堂の庚申塔(造立年不明)です。
摩耗が激しく、確認できませんでした。

「9999」は年代不詳を現します↓
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菅谷神社庚申塔 文化13年(1816)↓
d0240916_1561960.jpg

小動神社庚申塔 天保10年(1839)↓
d0240916_1573081.jpg

南泉寺庚申塔 安政4年(1857)↓
d0240916_15113230.jpg


[最終更新日] 2016.12.27


by jyohokiti | 2016-12-10 15:08 | 観光案内

武田信玄 小田原攻め 佐川は寒川か?

寒川神社に「武田信玄が奉納した」と伝わる兜があります。小田原攻めの祭に奉納したと伝わるのですが、それは、いつ、どのような場面だったのか、明確な記録は見つかっていません。(⇒[推論])
後世、佐川(サカワ)を寒川(サムカワ)と解釈し、寒川神社へ兜を奉納した根拠とする説があります。一方、佐川(サカワ)は酒匂(サカワ)と解釈する説もあります。

[佐川を寒川と解釈する説]
資料1:寒川町史研究 第2号 1989.3 p26
ところで、信玄の小田原攻めについては「甲斐国志」所収の都留郡諏訪社の棟札の銘文に次の如き記載がある。
「(略)太守(信玄)之御感、自他之誉不可勝計、其日本陣佐川(寒川)打帰、翌二日重而彼地進馬、巣城計蹴詰、悉撃破畢、如元佐川(寒川)両日滞在、如此被達累年之宿望之間、同五日、大神迄開陣、(略)」
日付けに若干の疑問が残るが、いずれにしても、信玄は小田原攻めに際してその前後に二日づつ相州寒川に本陣を張っていることがわかる。

資料2:大日本史料 第10編之3 昭和7年5月25日発行 東京帝国大学 p266
甲斐国史122附録第4 都留郡諏訪村諏方明神之棟札
(前略)寒川ニ陣ス 相州東佐川(寒川)著陣、彼地両日張陣(後略)
天正五年(1577)拾二月五日
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(棟札には「東佐川」と書いてある。それを「東寒川」と解釈したのは東京帝国大学である)

[佐川を酒匂と解釈する説]
資料3:神奈川県史 通史編1原始・古代・中世 昭和56.3.25 p1034
28日には相模の東佐川(酒匂川以東の酒匂のことであろう)に到着したといい

資料4:平塚市史 9 通史編 古代・中世・近世 平成2.3.30 p180
28日には相模の東佐川(酒匂川以東の酒匂のことであろう)に到着したといい
(平塚市史は神奈川県史を引用している)

小田原城を攻めるのに、大群を率いて、その都度、寒川から相模川を渡って、小田原まで往復するのは、非現実的と思われます。佐川は酒匂と解釈するのが妥当と思われます。


by jyohokiti | 2016-12-09 18:43 | 寒川町の歴史

寒川町のあれこれをご紹介しています。


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