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縄文時代の遺跡 弥生時代の遺跡と遺跡の文化財説明板 寒川町

寒川町内で、遺跡が発掘されても、埋め戻されてしまうため、多くの場合、現地へ行っても、どこに遺跡があったのか、見つけるのは容易ではありません。
所によって、説明板を設置した遺跡があります。
ここでは、その説明板を設置してある遺跡を取り上げます。
出土品の実物は、「文化財学習センター」で見ることができます。
写真は「電子資料館」で見ることができます。

・倉見才戸遺跡
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説明板は社宅の脇にあります。
弥生時代中期の大型住居や環濠、弥生時代後期の竪穴住居や環濠などが確認されました。特に、弥生時代中期の大型住居は相模川沿岸ではめずらしく、出土した土器や石器からは東海地方の影響がみられるものもありました。

・大蔵東原遺跡
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説明板は養護老人ホーム湘風園の入口にあります。
1万数千年以上前の旧石器時代の礫群(れきぐん)が4基確認され、寒川最古の遺跡ということがわかりました。
他にも縄文時代前期の竪穴住居址や、弥生時代後期の竪穴住居址や環濠、さらに方形周溝墓なども確認されました。

・宮山遺跡
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説明板はオリーブの丘公園入口、根岸集会所側にあります。
弥生時代後期(Ⅴ期)の環濠集落及び方形周溝墓群が発見されています。

・岡田遺跡
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説明板は越公園入口の左手にあります。
縄文時代中期(今から4,000~5,000年前)を中心とした巨大集落が確認されました。その大きさは、日本でも最大級の縄文時代の集落といっても過言ではありません。500軒以上の竪穴住居址が確認され、全体では1,000~1,500軒にのぼると推定されます。
また、弥生時代後期の方形周溝墓ほうけいしゅうこうぼや竪穴住居址も確認され、弥生時代にも集落や墓域が形成されていたものと考えられます。
特に4号方形周溝墓から、尾張、三河地方で見られる「パレススタイル土器」をかなり忠実に模倣した土器が出土しています。


[関連サイト]
文化財説明板マップ 寒川町
さむかわウォーキングコース/倉見
寒川の弥生時代
縄文時代の寒川 岡田遺跡
さむかわ ちょこっと ウォーキング 縄文時代を歩く


by jyohokiti | 2014-05-10 13:39 | 観光案内

近世寒川の領主群像-うちの殿様はどんな人?-

寒川文書館 第16回企画展 「近世寒川の領主群像-うちの殿様はどんな人?-」が開催中です。
[会期] 平成26年3月9日~8月31日
[開催時間]
平日(火~金):午前9時~午後7時
土・日・祝日:午前9時~午後5時
※月曜は休館(但し、月曜が祝日にあたる場合は開館)
[会場] 寒川文書館 展示コーナー
[お問い合わせ] 寒川文書館(寒川総合図書館4階)

展示の一部をご紹介します。
掲載できなかった展示物もあります。
是非、会場へ足をお運びください。

江戸時代の寒川町域11か村は、二十数家の旗本等が分け持つ、複雑な支配が行われていました。
その中には、大岡忠相や田沼意次など、教科書でおなじみの人物がいましたし、江戸城の医師や琴の名手など、多彩な顔ぶれもありました。
村との関係を示す古文書はじめ、系図、役職の記録などから、彼らの素顔に迫ります。

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[はじめに]
現寒川町域の村々は、戦国時代には小田原北条市の支配下にありましたが、天正18年(1590)に小田原が落城し徳川家康が江戸に入ると、徳川氏の家臣(大名・旗本)たちが支配するようになりました。彼らのなかには歴史的に著名な人物も含まれており、町の歴史上大きな特色となっています。
そこで、今回の企画展では、江戸時代に寒川町域を支配していた領主たちの素顔を、町内に残された古文書をはじめ、系図や役職の記録などを用いて、さまざまな角度からご紹介いたします。

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[近世寒川の村々]
江戸時代初頭の寒川町域には、田端村、一之宮村、中瀬村、大曲村、岡田村、小動村、宮山村、倉見村の8ケ村が存在しました。その後、元禄年間(1688~1704)以前に岡田村と大蔵村・小谷村が分村し、同時期に大曲村が大曲村(上大曲村)と下大曲村に分かれ、現在の寒川町域を構成する11ケ村が誕生しました。明治以降この11ケ村は大字となり、ほぼそのままの形で現在に至ります(大曲・下大曲を除く(*1))。
これらの村々の多くは、禄高500~1000石前後の中級クラスの旗本によって支配されていました。一つの村を一人の領主が治めることもありましたが、一村を何人もの領主で分割して治めることもよく行われていました。このような分割支配のありかたを、「相給(あいきゅう)」(*2)といいます。

*1:大曲・下大曲は平成3年(1991)の住居表示で大曲1~4丁目になりました。
*2:領主が二人であれば「二給」、三人であれば「三給」などと称します。

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[領主のうつりかわり]
天正18年(1590)、豊臣秀吉は関東8ケ国を徳川家康に与えました。以後、関東一帯には徳川幕府の直轄地(幕領)、および大名の領地、旗本の知行地がつぎつぎと設定されていきました。相模川両岸の村々は主として旗本に割り与えられる傾向にありましたが、相模川の東岸に位置する寒川町域にも、江戸時代初頭から旗本領(知行地)が多く置かれました。
旗本領の増加に拍車をかけたのが、元禄10年(1697)前後に一斉に行われた「元禄地方直し」と呼ばれる知行地の大幅な見直しです。これによって知行地の細分化、相給化が進みました。寒川町域でもその結果、新たに8名の旗本が領主となっています。
その後若干の変化を経て、最終的に大名1家、旗本18家+寺社領で明治維新を迎えています。

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[領主と村々とのかかわり]
Q:領主が実際に村を訪れることはあったのですか?
A:江戸時代の初めには、旗本たちは知行地に陣屋を設けたり墓所を置くなどし村々と深くかかわっていました。
しかし、17世紀の半ばを過ぎると、彼らのほとんどは江戸に居住するようになります。その結果、旗本が自らの知行地にやってくることは、ほとんどなくなりました。


Q:百姓にとって領主とは、いったいどのような存在だったのですか?
A:百姓にとって領主とは、日常のさまざまな場面で意識せざるをえない存在でした。
百姓にとって最大の義務は、領主から課される年貢や御用金をきちんと納めることでした。そのかわりに領主は、百姓生活の維持を保証するという、重大な責務を負っていたのです。


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Q:百姓にとっては、領主が誰であろうと、たいした違いはなかったのですか?
A:百姓にとって、誰が領主になるかは、きわめて大きな問題でした。ときには領地を離れる領主を引き留めようと嘆願を行うこともありました。(小動村、田沼氏の事例)。また、領主の葬儀に村役人が参列したり、家督相続の際に村から進物を贈るなど、親密な関係を築いている事例も見られます(宮山村、杉浦氏の事例)。
このように領主と村々とは、年貢や御用金の賦課、納入を軸としながらも、さまざまな形の絆で結ばれていたのです。


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小動村の田村領への復帰願い
天明元年(1785)、岡田村と小動村の領地は田沼氏の手を離れ、幕領となりました。その際に小動村から提出されたのがここに掲示されている願書です。これまで田沼氏代々の領地として重恩を蒙ってきたこと、水害の際に拝借金を賜ったことなどを挙げ、田沼氏への復帰を願っています。しかし、結局、この請願は受け入れられませんでした。


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[文書館(寒川総合図書館4階)]


[関連サイト]
第16回企画展示 近世寒川の領主群像―うちの殿様はどんな人?―
(会期:平成26年3月9日~8月31日)/ 寒川文書館
http://www.lib-arc.samukawa.kanagawa.jp/opac/bunsyo/contents/gallery/tenji16/index.html


by jyohokiti | 2014-05-10 13:32 | イベント

寒川町のあれこれをご紹介しています。


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