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戦国時代から江戸初期にかけて寒川に住んでいた人びと

戦国(後北条)時代から江戸時代(初期)にかけて寒川に住んでいた人びとをご紹介します。
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没年説明
1559永禄2年山中彦八郎・後北条氏家臣大道寺周勝の家臣。倉見領主。小田原衆所領役帳・河越衆の中に「一宮倉見30貫文」の記載あり。
・大村地番756が居館跡と考えられる。浅間社創建。(*1)
・倉見才戸遺跡第11次調査の結果、障子掘を発見。この障子掘は後北条時代の類例と近似している。よって、この辺りに屋敷があった可能性がある。(*4)
1580天正8年木内吉次千葉介家来。円妙院栄伸日貴居士。二男与兵衛門吉定の妻は広田修理の娘。吉定の長男(吉次の孫)は万部寺開山日桂上人。(*2)
1599慶長4年高木清方・高木六郎左衛門宣光の二男。高木清秀の弟。高木城(安城市高木町下屋敷:安城市指定文化財)で生まれたと推測される。水野下野守信元→佐久間右衛門尉信盛→水野和泉守忠重に属す。天正19年(1591)徳川家康直属の家臣となり、相模国高座郡倉見村に680石の知行地・倉見を賜わる。
慶長4年(1599)死去。66歳。墓は行安寺の北東。(*3)
・浅間社の敷地内に熊野神社創建。大村・神明社創建。(*1)
1610慶長15年大森泰次小田原城主・大森氏末裔
・父(泰頼)甲斐国・浅利で死して後、後北条家臣(河越衆)仙波・山中(彦八郎)両氏と共に相模国(一宮)へ帰る。一宮では菊地を名乗る。仙波氏(現・藤沢市遠藤)に撫育される。
・田端・生往寺開基。一之宮・車地蔵建立。貴船神社も勧請か?
1611慶長16年土屋権右衛門重成・東照宮、台徳院殿(秀忠)に仕える。1500石、江戸町奉行。(寛政重修諸家譜)
・小谷を知行か?福泉寺に墓あり。
1614慶長19年広田修理田端医王院開基と推定。摂津国、武庫郡広田郷(西宮市)の出と推定。関ケ原の合戦{慶長5年(1600)}では西軍か。関ケ原の合戦後、寒川・田端邑へ。墓塔は医王院本堂に近接、本尊・薬師如来に向かって建つ。実厳院心光宗月居士。(*2)

[出典]

*1:「倉見神社之一考察」池田銟七 平成10年
*2:「医王院開山之一考察」池田銟七 平成12年
*3:新訂「寛政重修諸家譜」第5 続群書類従完成会 昭和39.11.30 p396
*4:「神奈川県高座郡寒川町 倉見才戸遺跡 ―第11次調査 発掘調査報告書―」寒川町教育委員会 2010.3.31
*5: ウィキペディア「高木清秀」https://ja.wikipedia.org/wiki/高木清秀

by jyohokiti | 2018-06-05 16:01 | 観光案内

寒川町のあれこれをご紹介しています。


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