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七堂伽藍跡碑建碑60周年ミニ企画展示 寒川町文化財学習センター

H29(2017).12.16(土)~H30(2018).3.31(土)まで寒川町文化財学習センター2階廊下で「七堂伽藍跡碑建碑60周年ミニ企画展示」が開催されています。
その内容の一部をご紹介します。

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茅ヶ崎市七堂伽藍跡碑建碑60周年について

寒川にも近い、茅ヶ崎市下寺尾、北陵高校仮校舎のほど近くに「七堂伽藍跡碑」があります。これは昭和32年(1957)、同地が「七堂伽藍」と呼ばれる古代寺院の跡と推定され、史跡を保存継承するため、藤沢、茅ヶ崎、寒川の名士が集い、お金を出し合って設立した碑です。
現在は発掘調査等により、伝承ではなく、実際に古代寺院があったことが確認され、丘陵上の北陵高校グランドに位置する「高座(たかくら)郡衙」と関連した寺院であり、郡衙とともに「下寺尾官衙遺跡群」として国指定史跡になりました。
平成29年(2017)12月15日で建碑60周年になります。これを記念し、茅ヶ崎市では様々な事業が実施されています。今回はこれを記念し、七堂伽藍跡碑の寒川とのゆかりや、国指定史跡である下寺尾官衙遺跡群の紹介をしていきたいと思います。
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七堂伽藍跡碑と寒川

七堂伽藍跡碑と寒川の関係において、忘れてはならないのが、木島鄰(たすく)氏です。寒川町内ではおなじみの木島医院を設立し、2代目寒川町長になった木島氏は歴史への関心も深く郷土の歴史を研究していました。昭和14年(1939)「明朗の茅ヶ崎」にて、小和田の上正寺はもと下寺尾にあったことなどを「新編相模国風土記稿」や上正寺の鐘の銘文や口伝によって指摘しました。
昭和16年(1941)3月、神奈川県の歴史研究者である石野瑛の主宰する、神奈川県郷土連盟と明朗の茅ヶ崎社による文化財巡りと講演会が開催され、両氏とも七堂伽藍について言及していたものと思われます。これには100名もの参加者があり、当時の関心の高さがうかがえます。
七堂伽藍跡碑の設立には、この2名の研究が出発点とされています。
その後、石野氏に師事していた鶴田栄太郎氏によって茅ヶ崎市の郷土史について積極的活動が行われ、昭和32年(1957)12月15日同碑の設立が実現しました。設立には、藤沢、茅ヶ崎、寒川の名士が集い、お金を出し合いました。設立時に作成されました「七堂伽藍跡碑建設の栞」を見ますと、発起人氏名にはさきほどの木島鄰氏以外にも、大曲、岡田地区の方々の名前も見うけられます。
七堂伽藍関連の伝承も町内にいくつか見うけられ、関連史跡では、中瀬の高安善塚(美女塚)、榎戸、岡田の塔の塚になります。また、寒川小学校には七堂伽藍の礎石が2つあります。
七堂伽藍跡を含む下寺尾官衙遺跡群には寒川町の遺跡も2遺跡含まれています。岡田南河内遺跡と、大曲五反田遺跡です。共に旧小出川の河道で、古代の祭祀場と考えられています。残念ながら護岸工事のため隠滅し、国指定史跡範囲には含まれていません。
参考「下寺尾寺院跡の研究 神奈川県茅ヶ崎市所在の古代寺院」1997 茅ヶ崎市教育委員会
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寒川小学校内の七堂伽藍跡の礎石

現在寒川小学校内に「皆川湘波顕彰碑」とともにある大きな石は、宮山の根岸緑地にあった皆川湘波顕彰碑の土台に使われていたもので、もとは茅ヶ崎市下寺尾に存在した「七堂伽藍跡」の礎石であったといわれています。
礎石は瓦葺きのお堂など重厚な建物の土台となるもので、この上に柱が立てられました。寒川小学校内の石のひとつにも、円形の柱座の痕が残っています。
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by jyohokiti | 2017-12-16 17:22 | イベント

寒川町のあれこれをご紹介しています。


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