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武田信玄 小田原攻め 佐川は寒川か?

寒川神社に「武田信玄が奉納した」と伝わる兜があります。小田原攻めの祭に奉納したと伝わるのですが、それは、いつ、どのような場面だったのか、明確な記録は見つかっていません。(⇒[推論])
後世、佐川(サカワ)を寒川(サムカワ)と解釈し、寒川神社へ兜を奉納した根拠とする説があります。一方、佐川(サカワ)は酒匂(サカワ)と解釈する説もあります。

[佐川を寒川と解釈する説]
資料1:寒川町史研究 第2号 1989.3 p26
ところで、信玄の小田原攻めについては「甲斐国志」所収の都留郡諏訪社の棟札の銘文に次の如き記載がある。
「(略)太守(信玄)之御感、自他之誉不可勝計、其日本陣佐川(寒川)打帰、翌二日重而彼地進馬、巣城計蹴詰、悉撃破畢、如元佐川(寒川)両日滞在、如此被達累年之宿望之間、同五日、大神迄開陣、(略)」
日付けに若干の疑問が残るが、いずれにしても、信玄は小田原攻めに際してその前後に二日づつ相州寒川に本陣を張っていることがわかる。

資料2:大日本史料 第10編之3 昭和7年5月25日発行 東京帝国大学 p266
甲斐国史122附録第4 都留郡諏訪村諏方明神之棟札
(前略)寒川ニ陣ス 相州東佐川(寒川)著陣、彼地両日張陣(後略)
天正五年(1577)拾二月五日
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(棟札には「東佐川」と書いてある。それを「東寒川」と解釈したのは東京帝国大学である)

[佐川を酒匂と解釈する説]
資料3:神奈川県史 通史編1原始・古代・中世 昭和56.3.25 p1034
28日には相模の東佐川(酒匂川以東の酒匂のことであろう)に到着したといい

資料4:平塚市史 9 通史編 古代・中世・近世 平成2.3.30 p180
28日には相模の東佐川(酒匂川以東の酒匂のことであろう)に到着したといい
(平塚市史は神奈川県史を引用している)

小田原城を攻めるのに、大群を率いて、その都度、寒川から相模川を渡って、小田原まで往復するのは、非現実的と思われます。佐川は酒匂と解釈するのが妥当と思われます。


by jyohokiti | 2016-12-09 18:43 | 寒川町の歴史

寒川町のあれこれをご紹介しています。


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