人気ブログランキング |

寒川の奈良時代・平安時代の人々のくらし展

とき:
2015年10月31日(土曜日)~2016年 3月26日(土曜日)
[文化財学習センター開館日時]
毎週火、水、金、土曜日 午前9時から午後4時
上記であっても、祝日及び年末年始は休館となります

ところ:
文化財学習センター1階(一之宮小学校内)

奈良・平安時代の神奈川
川崎・横浜市の大部分が武蔵国の南部、その他は相模国と呼ばれていました。相模国には足上(あしのかみ)、足下(あしのしも)、余綾(よろき)、大住(おおすみ)、高座(たかくら)、愛甲、鎌倉、三浦の8郡が存在していました。
当時の寒川は、高座郡の中の寒川郷と推定されます。高座郡内には、海老名に国分寺が、茅ヶ崎に郡衙が、寒川には一之宮の寒川神社がありました。

d0240916_16541499.jpg←展示の様子

d0240916_16554072.jpg←倉見才戸遺跡
町内で最大の奈良・平安期の集落と思われます。竪穴住居が30軒以上、掘立柱建物6軒以上、環状遺構12条、井戸4基、その他道状遺構とも考えられる遺構や、土坑、ピット等確認されています。
  
d0240916_16572061.jpgd0240916_16575041.jpgd0240916_16581472.jpg←墨書土器
書かれた文字は漢字が大半で、カタカナはごくわずか、ひらがなはほとんど発見されていません。墨書の内容は、方角・官職・年号・数字・所属・仏教・祭祀など様々で、中には意味を特定できない文字もあります。また律令官の文字練習のために書かれたものもあります。

寒川町で見られる竪穴住居の壁に造りつけられたカマド
カマドの構造は土壁によるドーム状の覆いと火を焚く焚口、壁面に穴をあけて煙を外に出す煙道から成ります。覆い部分は粘土などの構築材によって作られました。カマド中央部には煮炊き具の甕と甕を支える土製あるいは石製の支脚(しきゃく)が据えられました。焚口部分は燃焼により赤色化し、堆積した土には炭化物が含まれます。この土を採取して洗浄すると、当時の食性を知る手がかりとなる穀物や魚骨などが発見されることもあります。

[出典]
寒川町文化財学習センター事業 企画展「寒川の奈良・平安時代の人々のくらし」資料 平成27年10月31日 編集・発行:寒川町教育委員会


by jyohokiti | 2015-11-06 17:11 | イベント

寒川町のあれこれをご紹介しています。


by jyohokiti
プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る