縄文時代の寒川 岡田遺跡

寒川町にある「岡田もくせいハイツ」の下に、縄文時代の村がありました。
それも、日本で最大級の村です。
4,500年前、岡田遺跡の環状集落ができました。
4,000年前、村が形成されました。
確認された住居の数は、500軒を上回るものでした。
しかも、確認された500軒をこす住居址も、遺跡全体からすれば、1/2から1/3ほどで、全体の住居の数は、1,000軒~1,500軒と推定することができます。
これは、全国的にみても、縄文時代の住居址としては最大級の遺跡だと言うことができるようです。
岡田遺跡クラスの遺跡は、日本国内には3ヶ所くらいしか発見されていません。
その内の一つが三内丸山遺跡です。
三内丸山遺跡は遺構を保存して遺跡公園にしました。このため、全国から多数の来場者があります。
岡田遺跡の遺構は壊して、上に住宅を作りました。今となっては史跡公園として整備し、全国からお客さんを呼ぶのは難しくなってしまいました。

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寒川町岡田7丁目 越公園(もくせいハイツ隣)


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越公園に掲示されている岡田遺跡の説明

[全文]
日本で最大級!?縄文時代の巨大集落-岡田遺跡-

この岡田もくせいハイツの足下に、縄文時代に多くの人々が暮らしていた村がありました。それも、日本でも最大級の縄文時代の村と知ったら、みなさんどう思いますか?
昭和57年、県営岡田団地の立て替えと共に、発掘調査がはじまり、平成元年まで、延べ8年にわたり行われました。その結果、縄文時代中期(今から約4000年~5000年前ごろ)の巨大な集落址が発見されました。確認された住居の数は、実に500軒を上回るものでした。
しかし、確認された500軒をこす住居址も、遺跡全体からすれば1/2から1/3ほどで、全体の住居の数は1000軒から1500軒を推定することができ、全国的にみても縄文時代の住居址としては最大級の遺跡だと言うことができるでしょう。
住居の他にも、お墓であると思われる墓壙(ぼこう)(円形または楕円形に掘られた穴)や埋甕(うめがめ)(甕を土中に埋めたもの)等も発見されました。遺跡からは、土器や石器といったものもたくさん発見され、矢じりなどの狩りに使う道具や魚を取る時に使った網のおもりと思われる石錘(せきすい)や土錘(どすい)といったものなども多く出土しました。
また、弥生時代後期(3~4世紀ごろ)の住居址や方形周溝墓なども同遺跡からは確認がされています。
現在、これらの土器や石器、住居のレプリカ等は寒川町文化財学習センター(一之宮小学校内)で見ることができます。
平成12年3月
寒川町教育委員会

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寒川町文化財学習センターに掲示されている地形の変化の説明


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寒川町文化財学習センターに掲示されている縄文時代前期の図
[図の出典]
上本進二・浅野哲也 1999 「茅ヶ崎低地の地形発達と遺跡形成」『文化資料館研究報告 7』茅ヶ崎市文化資料館


[出典]
「寒川町史研究 第25号」 平成25年3月31年、寒川町史編集委員会編集、寒川町発行

[関連URL]
さむかわ ちょこっと ウォーキング 縄文時代を歩く

寒川町 文化財学習センターのご案内
http://www.town.samukawa.kanagawa.jp/chosei/bunkazai/center/1361326345300.html

特別史跡 三内丸山遺跡
http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/


by jyohokiti | 2014-04-13 17:32 | 観光案内

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